2016年06月12日

研究学園の歴史探索会『郷土史サロン』に参加した

グリーンネックレス・カルチャーの会では研究学園周辺の歴史を学ぶ『郷土史サロン』を、催しています。

古くから研究学園に住まわれている方は、地域の生い立ちや昔からの風習など、郷土の歴史に精通していますが、研究学園の新しい住民の皆さんは地域の昔のことは全くわかりません。

研究学園に新しく住まいをもった住民は生まれ育ったところ、いわゆるふるさとががありますがその子や孫は概ね研究学園がふるさとになります。

そのふるさとを子や孫に語れる歴史や地理を学ぼうとして『郷土史サロン』がスタートしました。

研究学園の地域を定期的にテーマを決めて歩く体験型の学習会です。 健康と学習の一石二鳥の会です。

今回のテーマは西大橋の「安福寺」を中心とした西大橋~西岡地区の散策です。

当初予定は、5月30日でしたが、雨で6月3日に順延しました、参加者は16名 筆者も郷土史サロンのメンバーで参加しました。
 
安福寺は、

寺伝によると鎌倉時代中期に創建され、中興第一世は永国大聖寺住職第六世の弟子、良栄が文明元年に再興し大伽藍を建立しました。

そのご元禄年間に大伽藍は焼失し、そののちに再建し大師信仰の中心地として今に至っています。

名称は金剛山無量寿院安福寺です。真言宗豊山派に属する古刹です。

境内は霊園を含み敷地一万三千平方米(約三千九百坪)と広大な敷地があり、五寺の抹寺を有しています。

安福寺仁王門(仁王像)は昭和五十九年四月三十日宗祖弘法大師壱千百五拾年の御遠忌を記念として落慶入彿供養が行われました。
この日、三十名の僧侶、一千名近い善男善女が境内を埋め稚児の礼讃舞も華やかに古式豊かな開眼を厳修されました。
(安福寺HPより)


安福寺鐘楼 引っ越してきた暮れに紅白が終わるとともに何処からかの除夜の鐘 テレビの紅白の喧騒から一転静になり鐘の音が聞こえてきました。こちらの鐘です。
現在の鐘楼堂は、檀信徒の発願により昭和三十五年に完成しました。大梵鐘の重量二八五貫、総欅作りの堂に在り、夕鐘を伝えて仁王門の東側に並んでいます。


鐘楼の天井には32枚の天井絵が描かれています。こちらは、郷土史サロンメンバーIさんの父が描かれた天井絵ということでした。


今から凡そ二十五年前、岡野宮之助、小川茂の二人の翁が一大決意してして自らの手でお寺の竹山を厄除け大師にちなんで四十二間の横室を掘り、毎日小さいみかん箱に土を引っ張って二年間で掘りあげた。両側に大師像を各家が奉納して六十体余り、コンクリートを塗った横穴に排水が無く水が溜るので現在では本堂東側に安置されお詣りされている。岩室は今もそのままになって残されているが危険なため閉鎖されている。(安福寺HPより)


島地区の豪農家の御宅


民家のつつじが綺麗に咲いています。











  


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2016年05月11日

研究学園の苅間城跡とその末裔を訪ねる (その2)

研究学園の『郷土史サロン』は、好評のうちに予定の半分を経過しました。

先ず、苅間の八坂神社に足を運びました。

八坂神社は、苅間筑波街道沿い五叉路の信号の場所にあります。

筑波新聞のHPによりますと『祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)。1471(文明3)年、小田氏の家臣、野中瀬持氏が京都の下鴨神社より神鏡を遷して、この地に祀ったという。 古くは苅間十六郷の鎮守として信仰を集めていた。「八坂神社」の扁額は、谷田部藩主の細川興貫の筆によるもの。熊野神社などの境内社のほか、古い五輪塔などがある。 また、現在は枯れてしまったが、霊泉・弘法水の跡がある。 苅間城主であった野中瀬入道鈍斉の子孫が天正年間に神職になり社としたもので、相当な歴史があります』とありました。


八坂神社から直ぐのところに、古い長屋門があります。 こちらは苅間城主野中瀬入道鈍斉の一族のその子孫の個人のお宅になります。
長屋門は、収める年貢や税金が多い素封家でなければ造ることを認められなかったといわれています。
こちらの長屋門は、天明の時代に建てられましたので230年ほどになります。屋根は元々萱葺きで、土台も改修を行っているようですが、躯体は建てた当時のものだそうです。

長屋門は、研究学園の周りに12軒ほどありますが、いづれも大邸宅の趣が在ります。また、つくば市には195棟の長屋門が存在することがわかりました。つくば市の長屋門だけを訪ね歩くのも、楽しいかもしれませんね。 但しほとんどが個人宅です。



長屋門から苅間筑波街道を南下し、苅間辻の信号を渡り、暫くすると瀟洒なレトロの建物が見えます。こちらは旧葛城郵便局で今は使われていません。建物は昭和28年の完成で、62年ほど経過したと聞きました。この周りでは一寸絵になる建物ですね。 大正から昭和50年代まで特定郵便局の個人の方の建物です。

当日は、所有者の留守と重なりに内部は拝見できませんでした。中は物置にしているようですが局カウンターは残されているようです。
ペンキを塗って保存も良いのでなにかの記念館に良いと勝手に想ってしまいました。


旧葛城郵便局の南角を折れて途中は畑地帯、気持ちのよい田園風景が見られます。丁度畑に紫の花が一面に咲いて、我々郷土史サロンのメンバーを癒してくれました。


現在の葛城郵便局の少し南側に、辻原研修所があります。苅間地区住民の集会所になります。こちらの庭には、土地区画整理事業で移転せざるを得なくなったさまざまな祠や石碑や石仏を集めて祀ってあります。


岐路の途中、葛城小学校脇を通りますが、その小学校に葛城・遠東地区まちづくり協議会会長さんと小学校の校長先生が居られて郷土史サロン一行を校門の横の二宮金次郎像のところまで招いてくれました。


今回の郷土史サロンは、小学校を最後にして学園南の水辺の公園まで歩きそこでで解散しました。時間は3時間半、歩数は1万歩強でした。

今後も毎月一回、研究学園やその周辺の歴史と地理を学ぶ会を行っていくそうです。















  


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2016年05月09日

研究学園の苅間城跡とその末裔を訪ねる郷土史サロン

グリーンネックレス カルチャーの会は研究学園とその周辺の郷土の歴史を学ぶ「郷土史サロン」を開催しています。

夏冬を除き毎月1回ウォーキングを兼ねて歴史のある建物や景色の良い場所を訪ね歩いています。 7回目の今回は5月6日午前に行われました。大変天気の良いまた暑くも寒くも無い外歩きには最高に日となりました。

研究学園には、他県や他市からの転入者が多く住んでいますが、この地の歴史や地理などをよく判っている人はほんの僅かです。
また子や孫にとっては、この地は故郷になります。 この故郷をもっと良く知ろうというのがこの「郷土史サロン」なのです。現在約50名の方が登録されています。

今回は歩きながら苅間地区を中心とした旧葛城村を、歩いて歴史の探索をしようとの催しです。 今回は24名の方参加されました。
だんだん参加者も増えてきました。

当日、水戸信金駐車場に朝9時に集合し、参加者の挨拶を交わしルートの概略を説明して直ぐスタートしました。


葛城ふれあいの森公園を通り抜け下平塚の一本橋を渡ります。この辺は昔、鏡田と呼ばれていたようで田植えの頃田に水を張ると、鏡のようになり筑波山がくっきり映ったといわれます。里山の田園風景をみながらしばらく歩くとワンダーグーの裏手に出ます。

ここには苅間城といわれた城跡があったところです。苅間城があった場所を西側から見ています。


当時の城の跡 土塁が一部見えます。高さは1,5メートルくらいですが、その当時はもっと高さは高かったのでしょう。 今は個人宅のため通常は見ることは出来ません。今回は特別に中に入れてもらいました。

苅間城跡のすぐ近くにK家の墓碑があります。
その墓碑には、「そもそも系図によれば・・・・」と始まり、室町幕府の第12代将軍足利義持の六男が、こちらに来て小田家の家臣となり、野中瀬入道持氏と名を改めて館を建てたのが城の誕生で、その後K家までの経緯などが刻まれています。

詳細は省きますが、苅間城は戦国時代の初めに滅びたとされますが、そのときの残った一族や家臣が改名し、この苅間の地にその子孫としていくつかの家が見られます。

残されている土塁を見る


TXの下部に神橋という蓮沼川を渡り行き来する重要な橋がありましたが区画整理事業のため今は無くなりました。その蓮沼川沿いには神田遺跡が発掘されました。・・・この辺には時代を超えて人々が住み続けてきた証でもあります。

その近くは神田屋敷ともいい、苅間城の一部の館(武家屋敷)が在ったといわれます。その館の跡として土塁と堀の一部が見られます。いまはこのあたりは古屋敷といわれてバス停も在ります。


その苅間城の室町時代から延々と続いている由緒あるお宅を訪ねました。郷土史サロンのメンバーの同級生がこちらのご主人で、今日の参加者を全員自宅の庭に通してくれて案内までしてくれました。こちらのお宅も100年以上前に建てられたという居宅があります。


以下次回


  


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2015年05月09日

研究学園ちょっと昔の物語 その4

研究学園駅の東側にTX線に平行して、境松西平塚線の跨道橋がある。

その跨道橋から筑波山を望む景色は、研究学園ベストビュー10ヶ所の一つとなった。

2006年2月18日に跨道橋から撮影された写真を見ると、E39街区の戸建て住宅が建設中である。三菱地所のマンション「パークハウス」は、まだ未着工だ。

写真でわかったのは、下記の写真(目玉の矢印)に民家があったのがわかる。この写真を見て初めて目にした。

位置は、A39街区で現在の水戸信用金庫の東側に位置する。区画整理事業で取り壊され、どこかに移転しているはずだ。

写真提供はNIKIさん  撮影日 2006年2月18日


同じ場所から 撮影日 2008年3月15日 三菱地所のパークハウスが建設中 このころTX沿線にマンションブームが沸き起こった





  


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2015年05月03日

研究学園 ちょっと昔の物語 3

研究学園駅から筑波山を望む景色は、『研究学園自慢マップ』のベスト20に掲載されている(2014年グレーンネックレス カルチャーの会が発行)。研究学園で自慢できる場所のひとつだ。

ホテルベストランドの前からイーアスつくばに続く葛城駅前広場通(線)は、幅広い通りと幅広い歩道が自慢であるが、何よりも筑波山が真正面に見えてすばらしい風景になる。TXの駅のなかでは筑波山が真近に見える唯一の駅である。

東日本大震災の3・11から半年後に撮った葛城駅前広場通(線)からの筑波山。まだC46街区は、自然林の悠々たる森であった。 撮影日2011年11月28日


葛城駅前広場通(線)から筑波山を望む、駅前ロータリーの一方通行の箇所からの撮影で、上の写真より6年前の2005年8月28日の風景 である。 とにかく建物は何もない、TXが開通したばかりであり、まだまだ整備中で道路も封鎖されていたのだろう。
 写真提供NIKIさん 撮影日2005年8月28日




  


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2015年05月01日

研究学園ちょっと昔の物語 2

平成11年まで、研究学園に「東京電力」のショールームがあったことは、記憶にあると思う。

当時の東電のショールームは、、研究学園の大規模開発の住宅地をはじめ、TX沿線のこれから建設される住宅や学園都市の中高層住宅群の再開発を狙った、まさしくオール電化推進の戦略基地だったのだ。

華々しい最新の電化ショールームは、オープンして間もなく 3.11に遇い、残念ながら閉鎖に追いやられた。 営業期間は半年ぐらいだったと思う。

ガラス張りのデザインの優れた建物であり、ちょっと目を引いていたが暫くして取り壊された。その跡地に千葉銀が店舗を構えたが、幻の東電ショールームとなってしまった。

幻の東電ショールーム 撮影日 2011年11月27日 写真提供NIKIさん 


こちらの建物は、何処でしょうか? 現居酒屋通り付近から  撮影日2007年4月8日 写真提供NIKIさん






  


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2015年04月27日

研究学園ちょっと昔の物語

研究学園地区はめまぐるしく変わっていく。道が開通し、宅地が出来て、ビルが建てられ、家が出来て人が住み、店が出来て街が出来上がっていく。

鉄道を中心にして500haもの街が一挙に出現する。このような一体的に都市ができあがる様はものすごいエネルギーを感じる。

市役所が業務開始のあとにこちらに越してきたが、その当時は地図に表示はなく、ナビやグーグルにも映らない、夜間は真っ暗だった。

ばかに暗い街だなという印象があるが、最近は都市化が進み明るくなってきた。 新都市中央通沿いは、ほぼ埋まり建物ができた。

これからますます都市化はすすむのだろう。

そんな中、TXが開通したての頃の写真を、その頃から住んでいるNIKIさんが提供してくれた。ちょっと昔の研究学園である。

駅のホームから筑波山を望む とにかく何もない宅地造成中だ ロータリーは芝生ひろばだったのだ 駅前のサクラは健在だったようだ
 撮影日 2006年2月9日


駅から西の方角を望む 遠くにモータープールが見えるが、市役所用地の駐車場らしい 





  


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2015年04月19日

研究学園に埋蔵文化財が見つかる

研究学園の筑波ハム(住居表示は下平塚)の前に位置する、どろんこの会保育園の建設予定地に、埋蔵文化財が埋もれているのがわかり、この3月に発掘調査が行われた。

発掘された文化財は、住居の跡だという。竪穴式住居で7世紀ごろで、飛鳥時代という。

つまり、7世紀ごろからこの辺に人類が住み着き生活を営んできたのである。森林があり、耕作地になる平坦な土地があり、近くを川が流れている。古代人もこの地が優れた居住住環境だと認めていたのだろう。

研究学園には方々に埋蔵文化財が埋もれており、つくば市役所教育委員会で把握しているとのこと。

筑波ハムを望む


筑波ハム側からみる



案内図







  


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2014年10月12日

研究学園で郷土史サロンがスタート

最近歴史に対する認識が高くなっているそうだ。大河ドラマなどの影響もあるとおもうが、人は年齢を増すごとに歴史に対する興味がわいて来るらしい。歴史の裏の解説本も良く売れるそうだし、歴女という言葉も耳にする。

歴史ブームは続いているらしい。

新しい街研究学園は、ほとんどの方が研究学園以外の地区、や市、都県からの転入者で移住組みだ。

その新しい街も居住者にとっては、子や孫の永遠の郷土になるのだ。

新しく住み始めた人々にとって、わが郷土は、昔どのような姿をしていたのだろうか? 

そこで、研究学園グリーンネックレス カルチャーの会では、研究学園とその隣接地区の歴史について勉強会をはじめることにした。

勉強会とするとか型苦しさもあるので、郷土の歴史を学びたい方の交遊サロンとしてスタートさせることのようだ。

研究学園周辺にもともと住んでおられた、いわゆる地元の名士や長老の方々の識者から歴史のことや昔話をしていただくことにした。

関西方面と違い、歴史ストーリーがたくさん埋もれていることはないが、研究学園には苅間城址があり、隣接地には小野崎城址もある、面野井からは有名な武士も輩出しており、周辺のお寺、神社、そして祠や道標などなだ、昔から伝えられたことや言われなどを聞いてみたいと思う。 近代では自動車研究所があり、万博も行われた。

そのような、研究学園の変遷を学ぶ場を「研究学園 郷土史サロン」としてスタートさせるようだ。

なお、「研究学園 郷土史サロン」は、第一回目を10月30日にスタートとして、郷土史家の井坂 敦実 先生をお迎えすることのようだ。

カルチャーの会では、郷土史に興味のある会員を募集中とのことだ。


研究学園を中心とした江戸中期の地図



  


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2014年09月22日

研究学園駅前公園の池は元禄時代からあった

研究学園駅前公園は7ヘクタールの広さをもつ都市公園である。 東京近郊の私鉄沿線で、駅前にこのような大型の公園がある地区は、ほとんど無い。

さて、この研究学園駅前公園には大きな池がある。鯉も泳いでいる。 この池の名前はわからない。若しかして名が付いていないのかもしれない。 

この池は、公園が造られる前から、存在していた模様。

先日、元禄時代ごろにつくられたという研究学園地区の地図を見る機会があった。 原本は国土地理院には保存して有るそうだ。

その地図は、いまから約330年ほど前の元禄時代に作成されたもよう。その地図には、研究学園駅前公園の池とぴったりあう位置に池が示

されていたからだ。 つまり元禄時代に、既にこの池はあったのだと考えられる。

その地図は、詳細に描かれていて、蓮沼川の川幅などもよくわかる。 これらを見るとその当時に、日本(徳川幕府)には高い測量技術があったのかもしれない。

3年ぐらい前には、池に水が満々としていたが・・・・


今では、ご覧のとおり






研究学園の市民活動グループ グリーンネックレス カルチャーの会では、研究学園と周辺地区の歴史を学ぶサロンを、この秋に開設すると

いっている。 いわゆる郷土史サロンだ。 

研究学園の歴史の変遷について、地元の歴史家や、その地区の歴史に長けた方などを、お迎えしてお話を聴こうというもののようだ。

また、研究学園周辺の史跡めぐりなども行っていくとのこと。







  


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