2017年04月17日

いざ、鎌倉へ

歴史好きで旧皇族、大名、財閥、実業家、豪商,豪農そして文化人などの名家のお屋敷を探訪するということを昨年から続けています。当ブログでも「百年銘邸」としていくつかの邸宅を掲載してきました。

その後、百年銘邸は別サイトで専用のブログとして公開しています。 (一般的には名邸と呼びますが、金がかかった邸のため銘邸です)

これらの大邸宅は、全国に数多くあり、中には観光の目玉になっていたり、ドラマなどで取り上げられ急に脚光を浴びた建物などもあります。

中には、年に数日しか公開しない邸宅もあり、そのようなものは特に見たいものです。

 一般公開は、春秋、それぞれ2日間という特別公開が鎌倉市でありましたので、先日行ってまいりました。

メインは、旧皇族の華頂宮邸です。昭和4年の春に華頂博信侯爵邸として建てられたもの、平成8年5月鎌倉市が取得し、平成18年4月には市の景観重要建築物、同年10月に国の登録有形文化財に指定されました。「日本の歴史公園100選」にも選ばれていますが年4日間しか見せてくれません。 こちらは一見の価値がありましたので、研究学園駅から2時間20分掛けて行った甲斐がありました。

華頂宮邸  鎌倉の3大洋館の一つ。 鎌倉の奥の谷戸に建っていて、周りを山に囲まれ新緑や紅葉時期は素晴らしい景色です。
地図やガイドブックにはあまり載っていません。庭はフランス庭園で別棟に数寄屋調の日本家屋もあります。 



大仏次郎邸 こちらも八幡宮の前の町中にある作家の旧邸宅で、春の2日間の特別公開でした。



川喜多長政・かしこ別荘 東和映画の社長別荘で元和辻哲郎邸でもありました。春の2日間の特別公開。敷地内に川喜多映画記念館があります



鏑木清方美術館 こちらはいつでも見学可能です。好きな日本画家のひとりです。川喜多邸のすぐ近くで、本人の住まいとアトリエがありましたが、いまは美術館に建て替えられて邸宅はありません。



吉屋信子邸  作家の邸宅で、数寄屋建築で有名な建築家吉田五十八先生が設計をした数寄屋邸宅です。 土曜日だけの公開でした。



荘清次郎別邸 三菱財閥の専務の別荘 鎌倉駅から歩いて5~6分ぐらいのところ  鎌倉三大洋館の一つですが、いまレストランになって、当日は貸し切りのパーティがあり入れませんでした。
















  


Posted by 古城 温 at 19:55Comments(0)百年銘邸

2017年01月21日

百年銘邸 10 吉田兼儔 邸



福岡県柳川市には堀川が巡らされており水郷の町であり、柳川藩の城下町でもある。

百年銘邸9の立花邸は柳川藩主のお邸として全国的に有名で観光地にもなっている。また北原白秋の生家が立花邸の直ぐ近くにある。

その立花邸と白秋生家のすぐ近くに旧柳川藩の家老補佐役の中老を勤めた吉田兼儔(よしだたねとも)の隠居所邸が残っている。

今は、柳川市が建物の管理をし「旧戸島家住宅」として一般公開をしている。こちらの邸は豪邸ではないが、数寄屋風の意匠を持つ葦葺屋根の建物で 江戸後期の流行を反映して随所に文人趣味の意匠がみられる瀟洒な邸宅であるとともに、水郷柳川の侍屋敷の特徴を備えている。

庭は堀割から水を引き入れた池をもち趣きのある空間を形成している。 この庭は国の名勝庭園に指定されている。

建物は、文政11年(1828年)に庭園とともに建設されたとされる(寛政年間建築の伝承もある)。

後に藩主の立花家に献上され、藩の茶室として使用されたといわれている。明治維新の頃、徴発された宅地の代償として立花家から由布氏に下賜され、明治15年(1882年)頃に由布氏の転居に伴い戸島氏の所有となり、戸島氏の個人住宅として使用されてきた。

昭和32年(1957年)に県の文化財、昭和53年1978年に国の名勝指定を経て、平成13年(2001年)に建物が柳川市に寄贈され、3年間の解体修理の後、平成16年(2004年)4月から一般公開が始まった。

塀の外側からの外観  生垣が大きいので建物が上手く撮れていない


玄関は武家屋敷の造りだが、格式や威厳さは無く普通武家の玄関のようだ


数寄屋造りの部屋は繊細なつくりであると伺えるが、建物の概観はこじんまりとした建物にしか見えない


床の間の一部


居室の一部



和室から庭を観る


深い庇と広い縁側に角に柱が無いつくりは、広々として本当に気持ちの良い空間であり、畳に座って庭を観ていると癒される




室内から真正面の庭をみる  池には掘割から水を引き入れている


床の間には下弦の月の明り取りがデザインされている


板戸は、花鳥が描かれている



間取り図







  


Posted by 古城 温 at 20:34Comments(0)百年銘邸

2017年01月03日

百年銘邸 9  立花寛治 邸




立花寛治邸は、福岡県柳川市にある旧柳川藩主立花家の屋敷。
柳川市へは、福岡から約50キロ南に位置する町で、福岡の天神から西鉄で45分で行くことができる。

城下町として、水郷の街として名高い街で水郷めぐりは柳川観光の目玉である。
柳川は、戦国時代に蒲池氏の城下として生まれ、安土桃山時代は田中氏となり、江戸時代は立花氏の城下町となった。

立花j家は、徳川家康に認められた立花宗茂が、棚倉(福島県)藩主に取り立てられて間もなく、藩主だった田中氏が断絶になったことから、こちらの藩主に取り立てられた。以後明治の初めまで当家が代々藩主を務めた。

元禄10年(1697年)に4代藩主の立花鑑任が藩主別邸として「松涛館」を建設し、このあたりが花畑と呼ばれていたことから別邸は「御花」と呼ばれた。

現在の建物と庭園の大部分は明治42年から43年にかけて、柳川藩最後の藩主の次男14代立花寛治によって新築されたものである。

戦後は、1950年に立花家16代当主立花和雄氏が「柳川御花」として料亭と旅館の営業を開始し、今では当敷地内にホテルやレストラン、結婚式場を併設している。庭園と洋館や大広間は一般公開されていて見学することが出来る。

洋館 明治43年に立花家の迎賓館として建てられた、鹿鳴館様式の流れをくむ伝統ある建物。当時は要人たちを迎えた園遊会が催され、その美しさは、明治の面影を今に伝える柳川情緒のシンボルとなっている。
当時すでに自家発電所を設け、輸入品のシャンデリアや電気器具を使っていた。今もランプシェイドなど多くの設備が当時のままに残されている。


西洋館の内部 二階広間をみる


西洋館の内部 二階の部屋


西洋館の内部 二階の部屋


庭園の「松濤園」 明治43年に十四代立花寛治氏によって整えられた。その呼称のとおりクロマツに囲まれた池庭で、座敷からの眺望を楽しむ観賞式の庭園となっている。
園内には約280本のクロマツ,庭石1500個,石灯籠14基があり,沓脱石の巨石は旧天守閣の台石を移したといわている。園池のなかの二つの島と多数の岩島および水面は、冬場には飛来する野鴨が群れ遊ぶ見事な景観を見せる。

優美な庭景を見せる名園として、昭和53年に国の名勝に指定された。また、平成23年には松濤園を含む敷地全体が「立花氏庭園」として国に名勝指定されている。(御花のHPより)


本館棟 明治42年から43年に建てられた本館は畳敷きの大広間で、当時の宮家、富豪たちの間で流行った「西洋館の正面玄関に続く日本建築の大広間」という形式をそのまま残している。「松濤園」を臨む100畳の「大広間」は、中の間、三の間の畳を取り除くと、能舞台として使えるようになっている。昨年の夏から今年の夏まで大規模な改修工事中で残念ながら見学は出来ない。
全景は看板写真を撮ったもの


柳川地方に古くから伝わる「さげもん」とは、お雛様と一緒に、天井から部屋いっぱいにさげられる、たくさんの色鮮やかな鞠や人形といった飾り付け


中庭の紅葉 12月の半ばまだ紅葉は真っ盛りだ


入り口の御門


外側から見た邸の塀 こちらの周りの水路を船が巡る



邸内見取り図



なお、内田清蔵監修、伊藤隆之写真の写真集「死ぬまでに見たい洋館の最高傑作II」に当西洋館が掲載されている



  


Posted by 古城 温 at 14:43Comments(0)百年銘邸

2016年12月25日

百年銘邸 8  高取伊好 邸



佐賀県の北に位置する唐津市は、人口12万5千人の中都市である。福岡市博多駅から1時間20分で到着する。

佐賀県ではあるが福岡市のエリアになり、福岡への通勤圏にもなる。 昔から栄えた城下町で、いまでも唐津のシンボルである唐津城が健在である。天保の改革を行った水野忠邦が城主を勤めた時期もあった。

城下町であるため、歴史的な建造物や旧跡が多く、街は全体は落ち着いた町にみえる。

唐津には、炭鉱王となった高取伊好(これよし)の大邸宅がある。 高取伊好は、杵島炭鉱などのを炭鉱を治めこの地域の財閥となった。

唐津城の西南の海側の敷地約2300坪に、大きく2棟の建物が建っている。 この邸宅は、伊好が自宅兼迎賓として明治38年(1905年)に建て
たもの。

大広間棟にある板敷きの能舞台、植物の浮き彫りや型抜きの動物を施した欄間、杉板戸の絵など和風を基調としながらも洋館を設けるなど当時の最新の優れた意匠を見ることができ、近代和風建築のすばらしさが堪能できる。

特に藤、山桜、垂れ桜、菊、松、紅葉が描かれた29種類72枚の杉戸絵は京都四条派の絵師:水野香圃(みずのこうほ)が約半年くらい滞在して描いたと言われています。自然の豊かさがいっぱいです。

平成10年12月に国の重要文化財の指定を受け、平成13年から17年度にかけて文化庁の指導のもと修復・復原工事を行い、建築規模が最大になった昭和初期の状態に復元したため、近代和風建築のすばらしさが堪能できる。

玄関は来賓用の玄関と主人用、家族用と3つもある  ちなみにこちらは来賓用であり、いまは見学者用でもある


主人専用の玄関 洋館を挟んで来賓用の右側に位置する


来客用玄関から廊下、奥の部屋を見る


和室の角部屋で廊下も畳敷きで庭がよく見渡せる


能舞台を組み込んだ客間  主の伊好は能と漢詩を好んだようだ


大きな邸宅であるから当然廊下が長い


客用玄関を入り左側が洋室の応接室になる 豪華な造りである


2階の角の部屋  眺めがすばらしい


2階の部屋からの眺めは庭は当然として玄界灘がよく見える 海に浮かぶ島が丁度真正面になる


日本庭園は中に入れないが外からは回遊してよく見ることが出来る


庭側から建物全景を見るが大きくてカメラに入らない


邸の外側はよく手入れされている  散歩道に丁度よい


高取伊好氏の写真


車窓から撮った雨に煙る唐津城  現在改修中で来年夏まで見学が出来ない


   



  


Posted by 古城 温 at 19:50Comments(0)百年銘邸

2016年12月23日

百年銘邸 7 伊藤伝右衛門邸 (2)


邸宅の全景だがカメラアングルが悪く庭の植木が邪魔をしている


表玄関の脇に位置する応接室 この部屋はもともと和室だった部屋を洋室に改装し豪華なマントルピースはアールヌーボー調、窓ガラスには
ステンドグラスがはめ込まれている。


何の部屋だったのか建具は板戸であるが絵が施されている


床の間は素晴らしい 要所の部屋には白蓮の自筆の歌が掲げられている 一般公開に合わせて展示していると思われる


邸内の長い廊下は畳敷きで延々と続く


本座敷は手前に次の間があり50畳くらいある・・・数えていないが  この部屋から見る庭園は素晴らしい


東の端に位置する東座敷である、隣室は伝右衛門の居間になる


二階の白蓮の居室で8畳間と手前が次の間である。 1階の東座敷の真上となり、二階から眺める庭園は素晴らしい


食堂である 洋室なので食事はでテーブルであった


伝右衛門の写真


白蓮の写真 子供は伝右衛門の息子か・・


邸宅の間取り  間取りを見ても大きな邸宅であることが判る



Posted by 古城 温 at 19:42Comments(0)百年銘邸

2016年12月22日

百年銘邸 7  伊藤伝右衛門邸



飯塚市の中央駅となる新飯塚駅は、JR博多駅から福北ゆたか線で45分で着く。飯塚市は福岡県の真ん中に位置し、その昔は筑豊炭田の中心地区であった。

飯塚で有名な人物に炭鉱王の伊藤伝右衛門がいる。伊藤伝右衛門といえば、NHK朝ドラ「花子とアン」に登場する炭鉱王のモデルとなった人物で、大正天皇の従妹柳原白蓮を二度目の妻にしている。

その伊藤伝右衛門と柳原白蓮が暮らした贅を尽くした大邸宅を探訪した。 新飯塚駅からタクシーで5,6分で伊藤伝右衛門邸に着く。

こちらの邸宅は敷地は2300坪もあり、その庭は旧伊藤傳右エ門氏庭園」として国の名勝に指定されている。

建物は、約300坪もあり、大正の中頃から昭和の初期に建てられたようだ。 大邸宅は、今は飯塚市の管理となっているが一般公開されているので誰でも見学が可能であり、朝ドラの舞台にもなったため全国的にも有名になった邸宅である。

まづ門は、長屋門で大きな武家屋敷の趣を感じる。 元々福岡市天神の福岡別邸(あかがね御殿と呼ばれていた)にありましたが、本邸が漏電火災にあってこの門だけが残り後にこちらに移築したもの。


門前の通りは、ごく普通の民家が立ち並ぶ細い通りである


中に入ると正面に大きな玄関が出迎えてくれる。


玄関の右側にもう一つの門があり庭園用の入り口になっている。


邸宅の東側に、その当時は事務所なのか、あるいは蔵なのかと思われる建物に柳原白蓮の展示館として、白蓮が使用していた身の回りのものや出版物、自筆の短歌などが展示されている。


庭園は、柳原白蓮との結婚を契機に完成し、特に座敷からの眺望は素晴らしい。庭園は回遊できるように築かれており、大規模な築山や、独特の意匠の石造りの噴水を設けた池も設えてある。その景観構成は多彩であり、芸術上の価値は高いと評価されている。


庭の端からあづまやをみる


西棟側から庭をみる


二階から見た庭の一部・・・・全部カメラに入りきれなくて!


以下次回




  


Posted by 古城 温 at 19:05Comments(0)百年銘邸

2016年12月04日

百年銘邸 6  鳩山一郎 邸 (2) 

鳩山家が文京区音羽に居を構えたのは、明治24年(1891年)で、洋館が完成したのは大正13年(1924年)。

その後平成7年(1995年)に最新技術を駆使した大規模修復工事を行い、当時の面影を忠実に再現するとともに、記念館と集会機能を備えた会館として甦った。

敷地は約2,000坪、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造のイギリス風洋館に、バラや四季折々の花々が咲き誇る中庭、平和の象徴である鳩やミミズクの装飾など、鳩山家の理念「友愛」精神が随所に見られるほか、鳩山一郎氏が首相当時、重要な政治の舞台となった「第2応接室」や書斎や執務室を残した「各記念室」など大正から昭和にかけての日本の激動の政治を垣間見ることができる。

また「鳩山会館」は映画やドラマ・CM、雑誌で使用されることも多く、2014年のNHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』やTBSドラマ『花より男子』のロケもおこなわれた。(とうきょうお出かけガイドHPより)

鳩山邸の庭にはバラが有名である。バラは何十種類も見られるほか、つつじや桜、もみじが美しい。


玄関は建物の割りに狭いが、西洋館の特徴のようだ。


2階の大広間。こちらはイベントなどに貸し出すことも出来る。ほかに一郎氏の記念室、威一郎氏の記念室、薫夫人の記念室があり、夫々の遺品が展示されている。写真撮影は出来ない。


二階から前庭を見下ろす。木がうっそうと茂っており都会のど真ん中とは思えないほどの閑静さだ。


バラ園ともいわれるほど庭はバラに囲まれている。


威一郎氏の記念室


一郎氏の記念室


薫夫人の記念室


鳩山一郎氏と由紀夫、邦夫兄弟



原設計図  設計は一郎氏と親友の岡田信一郎先生で、ニコライ堂や明治生命本社などを手がけた建築家である。



(一郎氏、威一郎氏、薫夫人の記念室および一郎、由紀夫、邦夫氏写真は、「とうきょうお出かけガイド」HPより)
  


Posted by 古城 温 at 18:08Comments(0)百年銘邸

2016年12月03日

百年銘邸 6   鳩山一郎 邸



東京メトロ江戸川橋で降りて音羽通りを5分も歩けば、元内閣総理大臣鳩山一郎邸の門前に到着する。 鳩山由紀夫元総理や邦夫元総務相、威一郎元外相の実家であり鳩山御殿としても有名である。いまは鳩山会館として一般公開している邸宅なのだ。

門の入り口付近はビルやマンションなど高層の建築物が建ち並ぶ。その間を縫って巾6メートルぐらいの坂が邸宅までの長いアプローチである。大きな桜や、丁度今盛りの紅葉が見ながらで、5、6分ぐらいで邸の玄関に到着する。




坂の頂上、つまり邸宅からは見晴らしが好いと思われるが、高層建物に遮られ遠くは見えない。

玄関は、思ったより小さい。入場料を払い邸に入る。初冬の平日の昼下がり見学客は2組しかいない。大都会の真ん中であるが、木々も育ちうっそうとした森に囲まれていても物静かである。なによりも、ゆっくりと自由に見学ができるのが良い。


玄関ドア上の欄間はステンドグラスがはめ込んである。鳩が戯れてい絵柄だ。



まずは応接室に入る。脳梗塞の後遺症で体が不自由だった鳩山一郎は、この瀟酒な大邸宅を政治の場に活用した。
広さは10畳間ぐらいか思っていたほどにない普通の部屋である。


1956年自民党の幹部達が集まった。 この場で日本の政治や政局を話し合ったのだろう。


こちらは第2応接室である。邸の真ん中に位置する。


ダイニングキッチンは第二応接室の隣にあった。 今にも鳩山家の人々が出てきそうな・・・そんな感じである。


英国風サンルームである。ここは明るくよく陽が当たり大変雰囲気の良い部屋である。


サンルームで吉田茂と歓談する鳩山一郎 脳梗塞の症状からひとまず回復した一郎(右)を音羽御殿に訪ねて歓談する吉田茂 


階段室には大きなステンドグラスがはめ込んである。五重塔の上を鳩が舞う図柄である。
 





  


Posted by 古城 温 at 11:58Comments(0)百年銘邸

2016年10月23日

百年銘邸 5  高梨兵左衛門邸  (野田)






千葉県野田市は、キッコーマンの企業城下町です。どの家の食卓には必ずキッコーマン製品があるといわれています。

野田の醤油屋も今では世界の食品メーカーに成長しています。野田の醸造家がいち早く大同団結し力を合わせた結果なのでしょう。

江戸時代、上花輪村(現千葉県野田市上花輪)の名主であり醤油醸造を家業としていた代々続いていた高梨兵左衛門(たかなし ひょうざえもん)家もその一人でした。(キッコーマンの歴史は省略)

高梨兵左衛門家の今は住居としては使用しておりませんが、平成13年より敷地全体の景観を名勝「高梨氏庭園」に指定されて(昭和の庭園としては全国初)屋敷を保存公開している博物館となっています。 建物自体は博物館ですが勝手に見ることは出来ません。

建物内部を見るためには予約が必要です。入館料金は1500円と少々高いのですが、案内人が内部を説明してくれます。

建物の内部の入るときは、まづこちらで用意された靴下に履き替えます。 ドアや窓やふすま、障子戸などは、見物人が勝手に開閉することは禁止されています。壁や調度品に触ることも出来ません。

見せてはいるが、そのように大事にしています。

建物は平屋建ての数寄屋造りです。邸宅は良く手入れされていて見事です。建物の内部の撮影は禁止されていますので、残念ながら内部の写真はありません。

江戸時代に造った建物を中心に、明治から昭和まで補修と改修をしながら維持してきました。数寄屋造りの洋間の書斎や応接室が設えてあります。 

高梨家は、建物や庭だけではなく、古文書や生活道具も保存されていて、鉄筋コンクリートの新しい建物の展示室で、いくつかを見ることができます。豪商の家にふさわしい品の良い庭と質の高い数奇屋造りの邸宅を堪能しました。

門は、石畳のある長屋門となっています。この門のところに入館受付があります。また長屋門の手前にもう一つ門がありますが省略します。


門を潜れば、砂利を踏んで玄関があります。右玄関は、家族やお客の普通の玄関です。左側は本玄関で、貴賓客のみに使われたようです。
本玄関の脇には、洋間の応接室があります。数奇屋建築には一寸珍しいかもしれません。


貴賓客用の玄関 昭和3年~6年に建築しました数奇屋造りです


室内の写真は撮れないため、貴賓客のための和室【書院】から撮った庭です  庭石は京都の鞍馬石です






玄関側の廊下から貴賓客をもてなす和室(書院)を見ます  こちらの和室は文化3年(1806年)築だそうです


部屋の一部で、市松模様のふすまは、京都の桂離宮を模した部屋づくりだということでした。こちらの座敷ではお抹茶を頂きました。


家族室から見た庭


茶室は江戸時代からの建物で、眺春庵といい、屋根は萱葺きだったものを昭和6年に葺き替えています。 これからのもみじの季節はきっと華やかになることでしょう。



邸の案内図










  


Posted by 古城 温 at 18:15Comments(0)百年銘邸

2016年10月09日

百年銘邸 4  旧茂木佐平治邸



流山おおたかの森駅でTXから東武アーバンパークライン(野田線の方がなじみますが・・・)に乗り換えて5つ目が野田市駅であり、ここで降ります。

駅周辺は、少々寂れた街でコンビ二もありません。少し歩くと醤油や味噌のもろみのにおいがします。この辺はキッコーマン関係の工場が連なりキッコーマン城下町なのです。

第四回百年銘邸は、キッコーマン(旧社名 野田醤油)の第3代社長茂木佐平治邸です。野田市駅から歩いて5~6分で、赤いべん柄色の長い塀のある家に辿り着きます。ここが旧茂木佐平治邸です。

現在は、野田市の公民館として市民の集会室に活用されていますが、大正13年に建てられた国指定の登録有形文化財です。

茂木一族は、今の千葉県野田地域が醤油や味噌の原料になる大豆やと小麦が大量にとれたことから、江戸時代ごろから醤油を造ってお

りました。江戸川は江戸に物を運ぶに大変便利な運送経路で醤油も容易にかつ大量に運べたことがあり、醤油の供給地として繁栄してきました。
醤油醸造の茂木一族6家と近隣の同じ醤油醸造の高梨家そして堀切家が合同で「野田醤油」という会社を興したのが1917年で、そのころ200以上あった商標を1940年になって茂木佐平治家の「亀甲萬(キッコーマン)」に統一しました。

東京オリンピックのあった1964年に商標を社名にして「キッコーマン醤油」となり、現在の社名は「キッコーマン」となりました。

赤いべん柄塗りの塀は、茂木家の豪華さの象徴だそうです。 門は格調の高い四脚門です。


車寄せのある表門は通常閉じていて、年に数回貴賓客をお迎えするときにだけ開けたそうです。


玄関の内部はお武家屋敷のような設えです  いまは市民館としての入り口でもあります


長い広い廊下からは、豪華な庭の全体が見渡せます


一番奥の部屋で松の間です。床の間が付いてお客をもてなす一番重要な部屋でした。ここからの庭は又素晴らしい風景です。


この部屋から見た豪華な庭園


一番上質の部屋でお客様をもてなす棟をみる  ほかの部屋は市民館としての集会室で市民の方が集会を開いていましたので見ることは出来ません。 見学はお昼ごろを狙っていくことが一番です。


醤油工場の煙突が母屋の間に見えます。 醤油屋さんの風景です


茶室「松樹庵」 明治初期の建物ですが、解体されたり移築されたりして、昭和59年にこの場所で開庵したようです。


邸宅の平面図

















  


Posted by 古城 温 at 10:36Comments(0)百年銘邸