2017年10月02日

「谷田部海軍航空隊」谷田部飛行場の痕跡を探して

終戦まで存在した「谷田部海軍航空隊谷田部飛行場」の痕跡を探訪しました。

旧谷田部海軍航空隊は、旧谷田部町に広さ265ha(研究学園の半分強の面積)飛行場があり、終戦時には零戦104機、練習機57機、ほか11機の計172機があったと言われています。

同飛行場は、昭和13年に霞ケ浦海軍航空隊谷田部分遣隊とされたが、翌14年に谷田部海軍航空隊として独立しました。

終戦近くまで戦闘機の訓練を行っていたようですが、谷田部海軍航空隊に関する記録や資料は、終戦とともに処分され残っていないので詳しいことはあまりわかっていません。

光文社刊の「ああ、同期の桜 かえらざる青春の手記」は、谷田部海軍航空隊の出身者で特攻戦死した市島保夫氏の日記なので、一度読んでみたいと思います。


今月の研究学園郷土史サロンは「谷田部海軍航空隊の歴史を訪ねる」で、本日開催されました。

8時10分に研究学園駅前に集合。今日の参加者はわたくしも入れて22名でした。 寒くもなく暑くもない曇天の歴史探索日和です。

研究学園駅8時20分発のつくバスに乗り込み、約40分 つくば工科学校前で下車しました。(・・・この学校は始めて知った)

先ず「電鉄橋」という名前の橋を渡りました。、かつて戦前に土浦~水街道に電車を通すという話が合ったそうです。これに沿って谷田部地区で鉄道建設工事を谷田川を横断する前後の区間を着工したのみで、鉄道は未開通に終わりました。

この区間を道路にした際に谷田川に架けられ橋を、「電鉄橋」と名付けられました。




次に羽成観音堂 1592(文禄元)年、牛久城主・由良国繁が、この地方の戦乱で討死した人たちの霊を弔うため建立した7観音、8薬師の一つです。 地元では馬頭観音として近隣の人々の信仰を集めています。常陸西国三十三札所第21番札所。







観音堂の天井には雄大な龍や天女の美しい絵画が見られます。谷田部藩の藩医広瀬周度の16歳の時の絵だそうです。






そして谷田部海軍航空隊の飛行場があったところは現在の観音台、高野台、上横場など
桜が綺麗な農林研究団地の通り  この真っすぐな通りは滑走路の跡地なのでしょうか?



谷田部海軍航空隊当時からただ一つの現存する施設谷田部神社  実際の場所からは移されています。

こちらの神社に手を合わせ練習機に乗り込んだのでしょう。 




飛行場橋   常磐高速道にかかる橋は飛行場橋と名付けられました




「筑波学園病院」の場所が谷田部航空隊の本部があったところでした。筑波学園病院の入り口のところに谷田部海軍航空隊の記念碑が建っています。
当病院の理事長が建てた記念碑でした。



道の途中に立派な栗林を通り抜けました。イガ栗には大きな実がたくさん詰まっていました。 



今回の歩行数14000歩  




Posted by 12クラス書記 at 19:59│Comments(0)
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